研究内容(研究者向け) RESEARCH for researchers

マラリア原虫の生活環

マラリア原虫(Plasmodium spp.) は、14本の染色体中に約5,500個の遺伝子を持つ単細胞寄生虫(これを特に原虫と呼ぶ)です。その「生活環」は原虫の生存戦略を理解する上での基礎知識です。原虫はヒトと媒介蚊(Anopheles mosquito)という2つの宿主体内で形態をダイナミックに変化させながら細胞分裂・分化し、標的細胞(ヒトの赤血球・肝細胞、蚊の中腸細胞など)中で生活環を完了します(図1)。また、一部の赤血球感染原虫(〜数%)は性分化し、生殖母体(Gametocyte)となります。この生殖母体は吸血を経てヒトから媒介蚊へ唯一移行できる細胞型で、その他の繁殖型(Ring, Trophozoite, Schizont)は蚊の体内で全て死滅します。蚊の体内で雌雄の生殖体はすぐに受精し、一度は二倍体となりますが、減数分裂を経て、再び一倍体に戻ります。蚊の中腸細胞に寄生した原虫はSporozoiteとなり、その後、唾液腺内に侵入し、ヒトへの感染のチャンスである蚊の吸血を待ちます。この複雑な生活環はマラリア原虫を研究対象とし、治療を目指す医学者だけでなく、多くの基礎研究者を魅了し続けています。これを理解することは治療に新戦略を与えることはもちろんですが、生物学的な知識を与えることに繋がります。

Fig 1

図1 マラリア原虫の生活環:原虫は最初に肝臓に感染後、赤血球に感染し、吸血により媒介蚊に移行する。(媒介蚊ステージは一部を省略)

(ちょっとしたメモ:マラリア研究者は各個人のお気に入りの生育ステージがあり、Merozoiteマニア・Gametocyteマニア・Sporozoiteマニアなど、多数のマニアがいます。各マニアはお気に入りのステージで使われる多数の遺伝子の名前を覚えて、別のステージのマニアと秘密の話(研究の話)をしたりします。ちなみに私は全部のステージが好きです。)

マラリア原虫の遺伝子発現制御機構の解明(三重大学との共同研究)

マラリア原虫は各ステージで特異的な遺伝子を発現(転写・翻訳)し、必要な分子を作り出すことで標的細胞に感染・寄生したり、性分化を起こしたりします。このステージ特異的な遺伝子の発現は生活環の根幹を成すため、2002年のゲノム解析終了後、その制御を司る転写因子の探索が行われました。しかし、当初の試みは失敗に終わり、マラリア原虫には転写因子は存在しないという意見が主流となりました。同じ時期に私たちは、蚊中腸ステージ原虫における特異的発現遺伝子群の解析過程で、各遺伝子の上流に保存された塩基配列が存在することを発見しました。一般的に遺伝子上流には転写因子の結合配列が存在するため、発見した配列がこれに当たると考えました。その後研究を続け、最終的にこの配列に結合するタンパク質として、Apetala2ドメインを持つタンパク質(AP2)ファミリーを同定し、これが原虫の転写因子であることを証明しました。現在ではAP2ファミリーの研究は世界中に広まり、多くのフォロワーを生んでいます。

意外にもAP2ファミリーはわずか27種しか存在せず、この少数の転写因子が如何にしてこの複雑な生活環を制御できるのか、という疑問が次に生じました。そこで次世代シーケンサー使って蚊中腸ステージのAP2の標的遺伝子を網羅的に決定した結果、その1種のAP2が中腸ステージで発現する全遺伝子の転写を直接制御していることが明らかとなりました。これにより、各転写因子がそれぞれ別々の生育ステージで特異的に発現し、全てのステージ特異的遺伝子の発現を直接制御することが示唆されました(図2)。この極めて節約的な機構により、一見複雑に見える原虫の生活環が制御されると考えられ、前述の疑問に対する答えを得ることができました。

Fig 2

図2 マラリア原虫の転写制御機構:各生育ステージでマスター転写因子(AP2転写因子/一部を表示)が発現する。
各AP2はそれぞれのステージ全体に特異的に発現するほとんど全ての遺伝子を直接、制御する。この機構により、少数の転写因子により複雑な生活環を完了できる。

一方、一部のAP2遺伝子の発現はエピジェネティックな制御を受けることがわかり始め、現在私たちはAP2とエピジェネティック制御との関係に着目し研究を進めています。興味深いことに、ある別のAP2はそれ自身がエピジェネティック制御機構の一部となる可能性があることもわかり始めました。これらの研究を通じ、マラリア原虫の生活環の根幹を完全に理解したいと考えています。また、転写因子の標的分子の情報はステージ特異的分子の情報であり、薬剤・ワクチン開発のターゲット分子の同定に欠かせないものです。よって、私たちの研究から生まれる情報や結果がマラリア対策に貢献することを確信しています。

(ちょっとしたメモ:マラリア原虫の転写制御はおそらく、真核生物で一番、簡単なものだと思われます。次の研究でも説明しますが、こんな簡単な仕組みで細胞として機能することはちょっと驚きです。この簡単さは細胞の研究を行う上で良い点ですから、新しいモデル生物に加えて欲しいなと個人的には思っています。なかなか賛成してもらえませんが。)

マラリア原虫のセントロメアの発見と人工染色体の開発

マラリア原虫のゲノム配列が決定された後、各染色体上には「A」と「T」だけからなる不思議な領域が1カ所だけ必ず出現することがわかり、私たちはこれが原虫染色体のセントロメアであることを証明しました。セントロメアとは、細胞分裂時に複製された染色体ペアが2つの娘細胞に綱引きで分配される際に、綱が結合する染色体上の領域であり各染色体に1カ所だけ存在します。驚いたことに、マラリア原虫のセントロメアは3 kbp以下の長さしかありませんでした。他の生物のセントロメアは分裂酵母で数十kbp、ショウジョウバエで数百kbp、ヒトで数Mbpと長大であるため、原虫のセントロメアは極めて小さいことがわかります。

染色体の必須要素は、セントロメア・テロメア・複製開始起点です。この3つさえあれば任意のDNA断片は人工染色体へと加工できます。ところが上記の通り、多くの真核生物ではセントロメアが長大なため、その扱いが困難でした。組換えに有利な原虫の極小セントロメアは大きなブレークスルーとなり、それに加えて原虫のテロメア・複製開始起点を使うことで約8 kbpの極小の人工染色体を組み立て、これが実際の原虫染色体と同様に機能することを証明しました(図3)。人工染色体の作製に成功した他の例は出芽酵母しかなく、これが世界で二番目の例となりました。原虫の人工染色体ではセントロメアだけでなくテロメアも機能し、長さが一定に保たれています。また、300 kbpを超える長鎖DNA断片を組み込むことができ、遺伝子導入のベクターとしても有用であることがわかりました。

Fig 3

図3 マラリア原虫人工染色体:人工染色体は本来の染色体と同じように挙動するため、娘細胞に必ず継承され、原虫はいつまでも光り続ける。

(ちょっとしたメモ:この仕事は私たちが一番最初に手掛けたものです。始めた頃はマラリア原虫のセントロメアに興味を持つ人はものすごく少なかったです。人工染色体は今では世界で約50カ所の研究所・大学・企業で利用されています。ちょっと、嬉しいですね。)

人工マラリア原虫へ:「Built to understand, 造って、理解する」

ここまでの成果で、マラリア原虫では細胞の設計図が書き込まれた染色体を人工的に作れること、また前項で説明したように設計図上の遺伝子を駆動させるための転写制御は極めて簡単であることがわかりました。そこで私たちは現在これらの成果を組み合わせ、人工マラリア原虫を作製することを試みています(図4)。転写制御が簡単であるため、原虫内で機能するゲノムの設計が容易であり、人工染色体技術を使うことで数百kbpの原虫ゲノム を合成・移植可能と考えています。既にプロトタイプの人工細胞作製に成功しており、近い将来には染色体を自在に設計・合成・移植した人工細胞作製できると考えています。これまでの生命科学の研究は細胞の部品である遺伝子やタンパク質を一つ一つ調べてきました。この人工細胞を使った研究では必要な部品を集めて、設計図に書き込み、これを実際に組み立てて、検証(理解)するという新しいやり方を行うことができます。さらに病原性を完全に除去したマラリア原虫を人工的に作製したり、薬剤のテストに使用する原虫を作製したりすることも可能となるかもしれません。この研究もマラリア原虫の生存戦略の理解を深めることにつながると期待しています。

Fig 4

図4 完全人工設計マラリア原虫の作製:現在は酵母でゲノムを合成する技術と合成ゲノムをマラリア原虫へ移植する技術の開発に成功しています。
このプランに従って、最終的に完全に人工設計したマラリア原虫を作製することを目指しています。

(ちょっとしたメモ:人工細胞の作製は合成生物学(合成ゲノミクスと言う人もいます)の中心テーマで、アメリカと中国を中心に最近(2020年現在)、活発となってきました。しかし、普通の細胞は非常に作ることが難しく、欧米を中心とした計画は変更・断念している状態です。マラリア原虫で人工細胞ができれば日本も少しは頑張っているぞと言えます!ちょっと、マニアックな細胞なんですけど。)

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